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南京孫中山記念館にて

上海虹橋駅から高鉄(日本の新幹線)に乗り1時間で南京南駅に到着した。 
ノンストップです。
そこから地下鉄を2回乗換えて下馬路という駅で降りました。 

南京には繁華街のすぐ傍に紫金山という山が有ります・・
山と云うより広大な丘のような感じですが、そこには明孝陵と中山陵と云う有名な観光地が並んであります。
 

  明孝陵は1381年~1405年(24年間)(世界遺産)
  中山陵は1926年~1929年 (3年間)(中国20世?建築遺産)
 

前者は洪武の墓で後者は孫文の墓(中山陵)です。二人とも漢民族ですね・・ 
中山陵から徒歩15分程度で孫文の何度目かの奥さん(宋慶鈴)の妹で蒋介石の奥さんの宋美鈴の旧居が有りますが、中華民国時代の公邸だと思います・・

明孝陵・中山陵・宋美鈴旧居は数年前に行ったことがありますが、帰国後その傍に孫中山記念館が有ることを知りました。
それは梅谷庄吉の本を読んだ時です。
この本は清朝から中華民国、中国共産党に変遷する糸口となった辛亥革命を中から見るような印象を持ちました。 
 

孫文か志半ばで病気で他界するのですが、それを惜しんで梅谷庄吉が孫文の記録を残すために大きな銅像を寄贈します。
その像が南京孫中山記念館の入口にあると事でそれを見に来ました。
 

  下馬路駅から紅葉した法国梧桐の樹木囲まれた参道を1時間ほど歩きました・・
  平日の理由か・・寒い理由か・・静寂な参道には私以外に誰もいません・・
 

途中、中山陵の入口に来ると紫金山の観光スポットを周遊する小型バスがいて、大声で話す大勢の中国人観光客がいました。
でも、ここまで歩いて来る人は私だけなのかもしてません。
 

私は中山陵には行かずに地図を頼りに細い道を更に30分程度歩いて南京孫中山記念館に行きました
 
  紅葉した樹木の間から3メールぐらい有りそうな大きな孫文オ像が見えました。
  やっと巡り合った・・てな感じでした。数枚の写真を撮りました。
 

20181116

像の後ろに回ると梅谷庄吉が寄贈した・・との説明文が・・と思いましたが、台座に有ったと
思われるパネルが剥がされていましした。
偶然なのか意図的なのか・・
日中の歴史の闇のような嫌な印象を感じました・・
偶然又は修理中なら良いのだけれども・・?
 
でも紅葉の樹木と静寂の囲まれたこの場所は私にひと時の安息をくれました。
辛亥革命とは・・紅葉に囲まれた孫文の像を見ながら考えましたが、まだ勉強が足らないですね
孫文に・・モット勉強しろ・・と怒られたような気分になりました。