南京(明)の城壁にて

2019-09-20

1368年に洪武帝(朱元璋)により明王朝が設立され南京はその首都になります。
その後、1402年永楽帝(朱元璋の4男で天才型)により首都は北京に遷都され南京は北京を補完する都市となりますが、その後、孫文などの辛亥革命により南京は再び中国の首都となります。でも、その事で南京は日中戦争や国共戦争等の戦争を伴う近代史の厳しい舞台になりました。
 
南京の街には2つの歴史があると思います。
似ているようで似ていない明と孫文以降の近代史ですね。 
その2つの歴史がこの街は混在していると思います。
今日は明の歴史遺産の南京城壁を見学しました。
 
南京の城壁は明の洪武帝により1366年~1386年の21年間(全国労働力100万人)かけて全長35.267キロ高さ14~21メートルの城壁と城門を13箇所に作りました。
 
現在でも玄武門、中山門、中華門、集慶門、漢中門等が保存されその他の城門も補修などされているようです。 今回は中山門、中華門、集慶門、漢中門の4か所を上海から新幹線で南京南駅に行きそれから地下鉄と徒歩で
 
 “南京城門巡り一人旅”
 
をしてみました。 この旅で何が見えるのか・・
 
 (1)中山門(明時代は朝陽門)
    3つのアーチがあり今でも多くの車が行き来きしています。 
    城門の上に登ると城壁は遊歩道になっていて南京の街が一望できます。
    日中戦争で南京が陥落した時に松井石根陸軍大将等が入城した場所が
    ここだと思います(写真で見たことがある)彼は孫文や蒋介石とも親
    しかったと聞いていますが、この門をどのような気持ちで通ったのだ
    ろうかと・・
    遠方に高層ビル群が眼下には緑に囲まれ綺麗に補正された中山門公園
    がある。この景色を戦いに暮れた彼達にも見せてあげたいと思った・
 
 (2)中華門(明時代は聚宝門)
    国共戦争で有名な雨花台のそばにあります。三山駅と云う駅を降りて
    歩いて20分程度で巨大な城門が見えました。 南京城門で最も大き
    ような感じがしました。
    入場料(50元)で意外に高いと思ったが中華門ヲ中心に雨花台の入口
    あたりから集慶門(旧三山門)まで城壁が当時のまま繋がっていました。
    おそらく5キロ程度あると思いますが私は4キロ程度この城壁を歩き
    ました。 眼下には大きな河や公園や明時代の住宅街(保存している)
    などが城壁の道から見えます。 人は殆どいないので殆どこの城壁を
    独り占めした感じです。 途中に美術館があり城壁周辺の遺跡が展示
    されています。
 
20190920
今日は漢中門(旧石城門)も行く予定でしたが時間切れで慌てて南京南駅に戻りました。 
南京の城壁は興味が尽きないですね・・