コンテンツへスキップ

銀閣寺にて

数年前に京都でタクシーに乗り、信号待ちで停車していた時に窓越しに
 
 久坂玄瑞の碑が見えました・・
 
運転手に、あの碑って長州の久坂玄瑞ですか・・? と聞いたら・・
話し好きの運転手さんが
 
 お客さん・・幕末好きですか・?
 京都に来られるお客さんは金閣銀閣などの寺社巡りと幕末の歴史めぐり
 の人に分かれるけど最近は特に新選組だけを訪ねる女子会なども結構多いですよ
 お客さんも幕末派ですか・?
 
特にそんな風に考えたことは無かったけど、司馬遼太郎の本(数冊)や林真理子の
西郷どん等で京都の幕末の歴史の構図はある程度知っていた・・が、
その運転手さんの次の話は
 
 京都人に“先の戦争”と聞くと第二次世界大戦ではなく“応仁の乱”
 
などとの話です。 どこかで聞いた記憶も有ったのですが偶然乗り合わせたタクシー
での話とはいえ私の記憶の隅にに未消化のまま残っていました。
 
また偶然1週間程度前に門井慶喜の“銀閣の人”を読みました。 この人の本はいつも新しい
刺激をくれるので何時も新作が出ると読んでいます。でも特段銀閣寺の興味があったことは
無かったのですが、読んでいるときに急に
 
 数年前のタクシーの話(先の大戦・・)
 
などを思い出しGoogleで応仁の乱(1467年~1478年)などの年表を確認したら
 
 金閣寺完成・・1398年(尊氏の孫の足利義満による・・金満・成金型)
 銀閣寺完成・・1490年(義満の孫の足利義政による・・侘び・寂び型)
 
等で大雑把に応仁の乱の前後で金満型から侘び寂び型に変わったのかな・・と
感じました。
 
  侘び寂びとはなんだ・・?
 
10月8日、9日で大阪京都に出張したので午前中の早い時間に2時間程度時間を作り
急ぎ足で銀閣寺に行って見ました。
 
今日は台風14号の影響で雨ですが風もなくどちらかと云うとシトシトした雨で
たぶん金閣寺には合わないけど銀閣寺にはむしろ丁度良い天候のような気がしました。
 
 銀閣寺の入口の門を入ると長い銀閣寺垣がありそれを抜けると
 不思議な砂の造形の向月台が見えます。 銀閣寺に来た・・と感じますね
 右手にはあの有名な足利義政が拘った侘び寂びの象徴の観音殿(舎利殿)が
 雨に打たれて少し淋しそうにぽつんと佇んでいるように見えました・・
 
20201009
傘をさしてしばらくその舎利殿を眺めていると足利義政のによる侘びの文化などの
新しい日本の文化がこの場所から始まったのかと思わせました。
 
桜でも紅葉でもなく銀閣寺はシトシトと降る雨が最も似合うのではと感じました。