坂本竜馬の京都を・・

2022-04-15
14日15日とで大阪京都の顧客訪問をした、その後、15日の午後半日休暇を取り
  
 坂本竜馬が京都で過ごした4か所の足跡を訪ねながら
 
 ①京都小松帯刀私邸(ここで薩長連合締結させる)
 ②伏見寺田屋   (伴侶となるおりょうと出会う) 
 ③東本願寺枳殻邸 (慶喜側近の永井尚志に大政奉還確約させる)
 ④河原町近江屋跡地(竜馬と中岡慎太郎の生涯がここで途絶える)
  
 彼の生きざまを考えて見ました。
 
 
 ①京都小松帯刀私邸(1866年(慶応2年) 1月21日)
 
  京都小松帯刀私邸にて薩長連合締結した。
   薩摩(西郷隆盛、小松帯刀など4名)
   長州(桂小五郎後の木戸孝允など3名)
   土佐(坂本竜馬など3名)
  蛤御門などの戦で薩長は犬猿の仲だったがこのまま内戦が広がると
  清(中国)のようにイギリスなどに侵略されるので日本と云う立場
  で考えるようにと説得した・・竜馬の功績大と思う
  近衛家別邸御花畑御屋敷と裏書された“薩長同盟所緑之地”との
  小さな塔頭が寂しげに立っていた。
 
 ②伏見寺田屋(1866年(慶応2年) 1月23日)
 
  竜馬定宿の船宿である。薩長連合締結の翌日の夜に寺田屋で酒を飲んでい
  た時、入浴中のおりょうが裸のまま2階に駆け上がり奉行所に包囲され
  ているので“逃げて”と進言するがその際に竜馬は指に大怪我をする
  その後、西郷などの勧めで治療と逃避を兼ねておりょうと鹿児島の
  日当山温泉で湯治する。これが日本人初の新婚旅行と言われているが
  竜馬には当時他に2人の女性がいた。
   田鶴さま・・土佐藩家老福岡家の娘(これは架空で実際は平井加尾)
   千葉佐那・・北辰一刀流千葉道場主の次女(生涯独身)
  竜馬はモテた・・?
 
 ③東本願寺枳殻邸 (1867年(慶応3年)10月14日より数日前)
 
  司馬遼太郎の“竜馬が行く”では、竜馬は枳殻邸に徳川慶喜の側近
  の永井尚志を訪ね慶喜に大政奉還を承諾するように根回しに行くが、
  広大な庭を眺めながら
    あれは楊梅(ヤマモモ)ですね・・
    懐かしい・・我が故郷土佐の国樹ですよ・・
  等の枕話をしながら大政奉還の依頼をする。
  その楊梅を見たいと思ったが、施設の人に聞いたけど、
    知らないな~ぁ 無いと思うけど・・と
  えぇ・・また司馬遼太郎の創作なのかね・? 

  そして広い庭を歩いた。平日なのか人は誰もいません。楊梅は見つか
  らなかったけど途中大きな老木の幹が有りました。
  それがもしかしたら竜馬が見た楊梅なのかも知れません・?
 
 ④河原町近江屋跡地 (1867年(慶応3年)11月15日)
   
  定宿の寺田屋が新選組などに狙われていたので土佐藩邸真向かいの
  近江屋に移ったが会津藩配下の京都見回組(または新選組とも・?)
  に発見され中岡慎太郎と共に暗殺される。
  なぜ安全な土佐藩邸に行かなかったのか、武術に卓越した竜馬が何故
  簡単に切られたのか・? 相手が親しい人で油断したのでは
  とも言われているが真相は不明である。この時、彼はまだ31才である。
  坂本龍馬(司馬遼太郎は竜馬と云うが)中岡慎太郎遭難之地との石柱
  が有った。
 

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今日の旅は約150年前の京都で坂本竜馬が生きた僅か2年間の出来事である。
これにより日本は外国の支配を逃れ独自の発展と文化を保てたと思います。
  歴史が彼を生んだのか・? 
  彼が歴史を作ったのか・?
1836年土佐にて誕生 そして1867年京都にて眠る・・僅か31年の生涯であった。
 
京都の桜は散っても竜馬の花は消えそうにもない