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天草崎津教会にて

今年の初めに大学時代の友人が熊本人吉にいるので東京と静岡の仲間を誘い
2年前の人吉球磨川豪雨災害の励ましなどを兼ねたミニ同窓会旅行を計画していた。
ところが春先の電話では、もうかなり落ち着いているとの話なので
 
 球磨川の様子などは軽く見て熊本城、阿蘇草千里などの観光もしたら・?
 
との話が纏まっていたがふと、数日前にかなり昔に読んだことのある司馬遼太郎の
有名な「街道をゆく」シリーズの「島原・天草の諸道」の本が有る事を思い出したが、
どんな内容だったが思い出せない。
 
私はこのシリーズのアジア関連(中国・韓国・台湾)などは中国の仕事を
するようになってから何冊かをかなり興味深く読んでいたが、この「島原・天草の諸道」
の内容が読んば記憶は有るが内容は全く思い出せないので自宅の書棚を探したら
見つかったので再度読み直してみたら・・
 
 ・実に面白い
 ・どうして何もない長閑な漁村に教会が
 ・キリシタン弾圧・踏み絵・天草四郎等々
 
さらにこの小さな漁村が2018年7月に世界遺産登されたとの事を知り・・
仲間に一般的な熊本観光を辞めて
 
 ・天草崎津教会探索の旅
 
をしないか・・と打診したら
 
 ・人吉の友人が・・人吉からは随分遠いけど朝早くホテル出れば大丈夫かな・?
 
と少々消極的な返事であったが、結果、私の我を通す形でレンタカーで急遽天草集落世界遺産の旅となった。
 
この場所はキリシタンの視点で考えて見れば「島原天草地方」との括りになるが現在の行政区割りは
 
  島原は長崎県
  天草は熊本県
 
となり同じ文化の地域だと思うが行政の都合で分断されて結果、異なる時間と文化が流れたような気がする
 
  多分、島原は大浦天主堂など含め長崎の中心エリア内にあり都会的な雰囲気が・?
  でも車窓から見えるこの天草地方は熊本中心部とは切り離されて時間の止まった
  何か大切なものがそのまま残されていて街中でよく見かけるクマモンのポスターも
  見かけなかった
 
それが理由なのか、天草崎津集落は教会や十字架の墓地を除けば日本の漁村の原風景がそのまま残っている・・
 
 つまりそれは日本に寂れた漁村にこじんまりした教会が軸になりとの・・
 

特異な景色でそれはポルトガルなど行った事ないけど、この場所は日本と云うよりも
南欧のの田舎の漁村に近いのかも知れない・?
 
  癒される・・とは何だろう・? 
 
20220415_2

日本の原風景とは明らかに違うはずなのに、この漁村を歩いていると間違えなくこの感覚になる。
海辺に青い湾を眺めるデッキが有った・・
そこから遠方に海上マリア像が見えた。 十字を切るやり方が分からないので
思わず手を合わせた・・
 
天草崎津の旅・・行って良かった。とても記憶に残る良い旅で有った。