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旧乃木邸にて

今年の春先から司馬遼太郎の“坂の上の雲”を読み始め、この数日前にやっと全8巻を読み終えたので真夏の暑い最中に赤坂の、その主人公の旧乃木邸を訪ねてみた。
以前からこの辺りに乃木邸が在る事は知っていたが行くのは今日が初めてである。
 
“やっと・・”と云う感覚は20年ほど前に
“坂の上の雲”の3~4巻目ぐらいまでは読んでいた記憶があるが最初の秋山兄弟や正岡子規の関係まではとても面白く読んでいたが
 
 『この本の主眼の日露戦争の話になると』
・司馬史観炸裂の“竜馬が行く”
・吉田松陰の“世に棲む日日”
・長岡藩の“峠”
のような話の面白さにどんどん読み引き込まれるような感覚は無く、
 
『読む側(読者)に、ある程度の目線の高さが必要』
 
との感じで、なかなかこの本に同化できないままに以前は途中で読むのを辞めてしまっていましたが2年ほど前に大阪出張の途中サボリで司馬遼太郎記念館を訪ねた時にその迫力(業績)に圧倒・刺激されたので、再度司馬遼太郎の小説や紀行文を更に読むようになり私なりに少しばかり目線を高められたような気がしたので、やっとこの春先に最後の砦の“坂の上の雲”との邂逅とあいなった。
 
 ・これは日露戦争の話である・
・戦争の話ばかりである・
・これは小説なのだろうか?・
 
本によれば、この日露戦争には優劣を決める3つの戦いがあり、色々な偶然で日本は3勝0敗で勝つことになった。
(まあ、それがその後の悲劇を生むがそれは別の機会にと致します)
その坂の上の雲によれば、その代表的な3つの戦いは
 
(1) 旅順戦   
乃木希典(長州)VSステッセル
(2) 奉天戦   
大山巌(薩摩)VSクロパトキン
(3) 対馬沖海戦 
東郷平八郎(薩摩)VSバルチック艦隊
 
で、どちらかと云うとロシアのオンゴール的自滅で日本の3戦0敗となった。軍人としては陸の大山、海の東郷と評価される中に旅順戦での乃木希典は自分の息子2名を含む甚大な兵士の犠牲者を出し途中、業を煮やした児玉源太郎など直接支援やロシアの失策などの幸運が重なり旅順戦のシンボルの203高地奪還し薄氷の旅順戦勝利となるが、その後の日本の日露戦争の評価や功績は本来の大山、東郷を差し置いて乃木希典一人が称賛されることになる。
それには二つの要因が有ると思うが
 
 (1)旅順戦停戦会議を水師営(村の地名)で
日本(乃木希典)ロシア(ステッセル)
で海外の報道陣が構える場所で調停会議を行うが乃木希典は負けたステッセルの人権を傷つけないように丁重に接した事が日本の武士道精神として賞賛された。
 
(2)明治天皇大喪の礼の当日
乃木希典夫妻も大喪の礼の出席を要請されていたが体調不良との虚偽で出席せず
にこの赤坂の自宅で軍服の正装で控えていて、大喪の礼の号砲を合図に赤坂の乃
木邸で夫婦一緒に自害する。 明治天皇に使えるのが自分の使命であると・・
 

20220819

赤坂の旧乃木邸はその当時のまま保存されていて自害した部屋も見学することが出来た。
庭に出ると、ステッセルと和議を行った旅順水師営に在ったとされる棗から株分けされた棗の樹木が有ったのでそこで写真を撮った。
帰りに隣の乃木神社に伺いお参りをしました。
良い夏で有った。
記憶に残る夏になると思う。