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京都安養寺にて

1泊2日で大阪と京都の顧客訪問をしました。仕事を終えて半日休暇を取り
京都蹴上(けあげ)駅にほど近い浄土宗西山派の安養寺を訪ねました。
このお寺は村上春樹の父親の実家です。
彼はプライベートに関する小説を全く書かない人だと思うけど唯一なのか
 
“猫を棄てる”
 
と云う短編小説で自分の父親の事をかなり詳しく書いています。
その話は子供の頃に父親と西宮市夙川の当時住んていた自宅から海まで
猫を棄てに行ったけど家に戻ったら捨てていたはずの猫がすでに戻っていた・・
との話からこの短編の話が始まります。  
そしてこの小説のあとがきに、父親の事を“いつか”か書こうと思っていたがなかなか
書けずに先延ばしにしていたが、この猫の出来事をふと思い浮かんだら
すんなりと書けたとのコメントがあり、何故なのかスンナリ腑に落ちました。
この小説の大半は日中戦争に出征した父親がその戦争体験を全く話すこと
が無かった、その空白を彼なりに想像したり調べたりしながら親について考える話です・・
推測すれば彼の親は大正7年生まれで上海から徐州まで行ったように想定
できます。一方私の父親は大正4年生まれで私が大学4年の時に57才で
心筋梗塞で他界したのですが私の親も同様に戦争の事は全く話すことは有り
ませんでした。私が唯一知っていることは母親から聞いた
 
 “赤紙で上海に行き、終戦後1年を過ぎてからビルマから帰還した”
 
との事だけです。私は15年前から中国の仕事をするようになり上海にも頻繁に
出張をしていますがその時に宿泊するホテル(上海王宝和大酒店)
から徒歩20分ぐらいで外灘からの引き込み運河の蘇州河まで行けます。 
河の手前が元の共同租界で向こう岸が中国との事でそれをつなぐ新垃圾橋と云う橋が
あります。ちなみに橋の名前の“垃圾”とはゴミの事です。何故橋の名前がゴミなのか
良く分かりませんが、その橋から四行倉庫(4銀行の出資)と云う建物が見えます。 
その倉庫は中国国民党の弾薬・医薬品・食料が保管してあった場所です。
日本軍は南京進行するときに最初にこの倉庫を攻撃しました。 
つまり南京進行の切っ掛けになった場所です。時間軸を考えると村上春樹の
父親も私の親もこの戦いの後に中国に行っているので、この争いには関わっていない
と思いますが、但し、この場所やこの橋などには来たのでは・?と思ったりします
(確認できません)
 

比べるのはおこがましいが村上春樹と私は同世代です。なので同じ時代の
匂いを感じで生きて来たと思います。私が還暦を過ぎたころから何も話をしたが
らなかった父親の空白の記憶と体験を知りたいと思うようになっていますが
もしかしたら余計な事なのかも知れません。
 
京都安養寺は入口に大きな塔頭がありました。 後方を見ると
 
  住職 村上辯議
 

20220819

との名前が書いてありました。 村上春樹の祖父ですね・・
小さいお寺ですが風情があってとても感じの良いお寺でした。
坂を下るとすぐに南禅寺があります。 そこから哲学の道を経由して銀閣寺まで歩きました。
哲学の道を一人で歩いたけど村上春樹のような小説ネタは浮かばなかったけど
でも来てよかったと思いました。