上海の聶耳旧居にて

2023-06-22

2023年6月19日の週で3年半ぶりに上海出張をしました。
私の自宅は藤沢市鵠沼と云う場所です。家から徒歩15分ほどで鵠沼海岸に
たどり着きます。週末の私の散歩コースですね
その海岸の少し手前に聶耳記念碑が有ります。
彼は中国の国歌(義勇軍行進曲)を作曲した人ですね・・
昆明の医師の家に生まれるが父親は子供の他界したので音楽教師の母に育てられる。
母の影響なのか地元ではバイヨリンの天才と云われ子供のころ故郷の湖の畔で練習を
していると近所の人々が聴き惚れた・・と中国の小学生向けの国語の教科書に書いてあった
(これは私の中国語の教材だけど・・) 
そして彼はその才能と生かすために大都会の上海に20歳のころに来るが上海では彼より上手い人は
たくさんいて彼は取り合えずタバコの卸店で働きますがその会社は早々に倒産する。
その後、劇団の臨時職員に採用され演奏だけではなく作曲も手掛けるようになり、
田漢(10歳年上)と知り合い彼が作詞で聶耳が作曲で後の中国国歌となる(義勇軍行進曲)
がこの上海で生まれるとこになった。 
日中戦争のさなかで生まれたこの曲は、まあいわゆる紅歌(軍歌)ですね。
リズムも良い(ノリが良い・・)ので国の応援歌になったのかなと思いますが・・
藤沢鵠沼と上海との縁で(まあ世間では関係ないけど、私には妙に・・)
そんな背景で私は今回、彼が上海で3回転居した住宅を訪ねてみようと思いました。
 
 ① 虹口区公平路185ー86号
   小さな倉庫会社、休業中のホテル、雑草が覆っている広い土地
   この地域全体が再開発で調整中のような感じで向かいのガソリンスタンドで尋ねたが
   知らない・・との事で聶耳の痕跡を見つけることは出来なかった
 
 ②静安区常徳路633恒徳里65号
   昔の上海の集合住宅で入口に30センチぐらいの小さな看板が有った・・
   やっと見つかる。
   入口の守衛さんに聞いたら・・知らない・・と冷たい態度・・無断で中に入ると
   椅子に座っているおじいさんが・・大きな声で・・(そこそこ・・)言葉分からない
   がそんな風に言ったので近ずいて見たらなんと彼の大きな銅のプレートが有った
   ・・見つかった・・
   ・・会えた・・(妙な感激をした)
   少し先に進むと彼が住んでいた住宅が有った。入口にその説明書きが有った
   は現在も誰かが住んでいるので入れなかった
   でも彼は、この場所で作曲をし歌ハズだ
 
 ③徐汇区淮海中路1258号
   その場所に行くが楽器店などが有るだけで痕跡は無かった・・
   向かいに音楽学校が有った
 
取り合えず彼が住んだ3か所を訪ねた。まあ上海は世界でトップクラスに地価が高いのでたとえ国歌を
作曲た人が住んでいたらと、保存をするのは難しい・・のだと思いましたがその近くの公園に
彼の大きな銅像が有りました・・
どこかで来たことが有るような・・と思ったた宋三姉妹に宋慶齢の家のそばで有った
彼は上海に3年住んでバイヨリン技術を高めるために日本経由でロシアに留学予定だったが
その後、上海にも昆明にも戻ることは無かった(出来なかった)
それは日本の支援者(彼は共産党に入党していた)を訪ねロシア行きの数日前に藤沢に遊びに来て
鵠沼海岸で海水浴をしたが、その時に溺れて23歳の若さで他界してしまいす。
 
20230220

その鵠沼海岸が私の家から徒歩15分です。週末の私の散歩コースです。そこに彼の記念碑
が有りますがその彼のレリーフは常徳路633恒徳里の場所でも見ることが出来ました。
彼は水泳は得意なので死因に疑問が残ると噂されていますがそれを調べるのは私の役目では
有りませんが、私は縁が有り出張ベースですが上海で仕事をすることになり中国の国歌の作曲者と
妙な縁が有るのかな・・と思い今回は上海の聶耳旧居を訪ねてみました。
来月の7月17日が彼の命日です。その日は鵠沼海岸で彼をしのぶ集いがあります。
今年は参加して見ようかと思っています。