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四度目の中国南京城壁にて

南京は曇天でした。南京の城壁は明朝(朝は時代のこと)の初代皇帝朱元璋(ZhūYuánzhāng)により作られました。この時代の年号は「洪武」なので通常彼は「洪武帝」と呼ばれています。
モンゴルの元朝を倒し1368年の40才の時に皇帝になりますが在位期間は(1368年~1398年)の30年間で当時としては珍しく70才まで長生したためなのかかなりの長期政権だと思います。
南京の城壁は内環と外環との2重構造ですが外環は今では総て無く地下鉄の駅名にその名を残すだけですが(南京の地下鉄は門が付く駅名が実に多い)地下鉄に乗り車内アナウンスでその駅名のを聴くとても良い感じに響きます。

内環城壁は全長35.267キロだったとの事ですが現在でもその半数前後が保存されて城壁の上を歩くことができます。
城壁の幅は5mぐらいで高さは12mぐらいあります。それが南京の中心部を丸く囲っていて13の大きな門が交通の要所になっています。

  私は2回目の城壁を歩いた時に、現存している南京城壁を総て踏破してみたいと思いました。

それで何が得れるのかは不明ですが何かが生まれるような気がしたからです。
当然今の私には仕事があるので上海出張の合間に短時間で積み重ねる意外に無いのですが今回は前泊して丸1日を使い2ルートを歩いて見ました。

  ・中山門~光華東門ルート(2時間)
  ・玄武門~中央門ルート (2時間)

城壁は有料(高齢者は無料・・なぜか私も無料でした?)の理由か殆ど人がおらずにウォーキング?としては最高のロケーションだと思います。
両側面の眼下には南京の古い街と新しい街が見えます。

  ・歴史の匂い(香り)

がします(まあ当然気のせいとは思いますが)粘土を少し大きくした弁当箱のような大きさの箱に入れ天日干しをしたブロックを何万、何億万個の気の遠くなる量を積み上げたのが城壁ですね。 
途中途中のブロックには作業者の名前なのか何かを伝えたかったのか微かに漢字が読み取れます。
この作業は経済としては公共投資なんだと思いますね。 
高額な税金を取り庶民に城壁の作業をさせる。お金が還流する・・明の時代が地味でも比較的安定したのはお金が回っていたからかも知れません?
(事実は不明です)

最初のコースの中山門は1937年12月17日,日中戦争の責任者松井石根陸軍大将
(その後A級戦犯で絞首刑に)が制圧した南京の街に馬で凱旋入城した門ですね
南京は明の洪武帝時代と孫文・蒋介石時代の2回が中国の首都でした。

 ・歴史の街ですね

  日本からみると南京のイメージは少しネガティブに映るかと思いますが、こうして何度か城壁を訪ねるとこの歴史の匂いから何か見えるような気がして・・
探してみたくなっています。あと2回ほどで内環の南京城壁完全踏破となると思います。
日本人で南京の内環城壁を総て歩いた人は何人いるのだろうか・?
(たぶん数名程度では?)
今の段階で結論を出さずに現存する総ての城壁を踏破したときにどんな思いが浮かぶのか?
20241015

 ・坂の上の雲・? 

どうなるのか、なにか未来が見える気がしています。
歴史とはそのようなモノだと思うからです。