鎌倉や藤沢に暮らして30年経過しますが意外にも大磯に行ったのは今回が初めてです。
隣の平塚や少し先の小田原には何かと訪問する事もあったのですが愛人
(中国語の奥さんのこと・・日本語ではない)が吉田茂邸が再建されて一般公開しているので行って見る・・との事で、連休は車が混むのでハイキング兼用で大磯の町を散策しました。
然し、驚いたことに大磯は昭和の近代史の宝庫のような場所でした。
駅に降りると5月3日なのか市民団体が憲法改正反対などのビラを配っていましたが今の憲法は戦後吉田茂が首相の時に公布されたことを思い出しました・・
サンフランシスコ条約を概ね勝手に批准して戦争放棄(安全保障はアメリカに依頼して日本は復興に集中する)の憲法を推進したのが吉田茂と思います。
70年過ぎて概ねその時の判断は正しかったと思います。
大磯駅から45分程度で吉田邸に着きました。
広い日本庭園と和風の住宅があります。
別荘なのだと思いますが、広い応接や会議室などもあるので、ここで昭和史を決めるような会議もあったような気がしました。
平成天皇なども来られたようです。
2階の部屋からは相模湾と富士山が綺麗に見えます。
吉田邸の向かいには旧三井財閥の別荘があり少し手前には滄浪閣と云う伊藤博文の別荘が有りました(見学できず)
そのほか山県有朋・大隈重信・西園寺公望・寺内正毅・原敬・加藤高明等の別荘も有ったそうです。
帰り道に島崎藤村の住宅もありました。
政治家とはことなり質素な住宅で
再婚した若い奥さんと最後までここで暮らしたとのこと・・
帰りに駅前に澤田芙喜記念館(エリザベス・サンダース・ホーム)に行きました
三菱財閥の娘ですね・・この人の情熱には頭が下がるばかり・・
こうして大磯の不思議な旅をしました。
昭和初期を考えた1日となりました