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湯ヶ島温泉にて

1泊2泊で家内と伊豆湯ヶ島温泉に行きました。 
伊豆半島中腹を流れる狩野川は湯ヶ島温泉手前で本流の本谷川と支流の猫越川
に分かれます。 本谷川はその後、浄蓮の滝、ワサビ畑、河津七滝、河津さくら並木を
経由して東伊豆の海まで行きます。
一方支流の猫越川は湯ヶ島温泉郷を経由してしばらくして伊豆の山間に呑まれて途絶
るようです。その猫越川周辺には湯ヶ島温泉郷として5~6件の小規模温泉宿が有りますが
その総てが寂れた宿ではなく高級隠れリゾート風の宿となり、私が宿泊(あせび野)した
宿も同様で部屋からは樹齢100年を優に経過したと思われる杉や欅群が広がり、
とても静かで聞こえるのは眼下に見える猫越川の清流と部屋の源泉垂れ流しの温泉の
音だけです。 
また、その宿から徒歩5分程度で湯本館と云う古い宿が有ります。 川端康成が
伊豆の踊子を執筆した宿ですね・・その部屋は今でもそのまま保存されているようです。
 
伊豆の踊子の書き出しは
  『道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃・・・』
ですね。 
この場所には何度か来ているのですが、昨年から再度このつづら折りの道を
歩いて見たいと思っていました。 
それは、偶然伊豆の踊子には実在のモデルが存在していたと知ったからです。
小説では川端康成(20歳の東大生)が旅の踊子(16才ぐらいに見えたが後に14才と知る)
に恋をするとの構図の話だが、その実際のモデル(伊藤初代、当時15才)は踊子ではなく大学近くの
カフェで働いていた岐阜出身の女性との事で二人は婚約までしたが、その後、理由も告げられずに
彼女から一方的に婚約破棄をされ川端康成は失意の時の伊豆の旅で書いたのが、
伊豆の踊子で、構成はフィクションでも心中は事実に即していた・・のかと思うようになりました。
私の知る限りでは、その婚約破棄の理由は伊藤初代さんが何かの事件に巻き揉まれ結果として
生娘でなくなってしまったから・・との事らしい(推測の域が出ず今のところ正誤不明です・・)
仮に事実だとすれば明治と云う時代を感じますね・・ 
 
川端康成は最後までその理由を知る事は無かったようです。
そんな失意の時に一人で伊豆天城隧道のつづら折り山道を歩く・・そして、あの名作の書き出しが・・
  『道がつづら折りになって、いよいよ天 城峠に近づいたと思うころ、
  雨脚が杉の 密林を白く染めながら、すさまじい速さ でふもとから私を追って来た』
今日改めてこの山道を歩いて見ると、この歴史的名文は川端康成のノーベル賞的才能とは思うけど、
伊藤初代との失意などが背後に有ったのかと思わせました。
2023年2月20日のこの日に、つづら折り山道を歩くとやはり杉木立のかすれる音と側道下の本谷川の
渓流の音だけが聞こえます。 
 
20230220

そして伊藤初代さんは37歳の若さで他界し今は鎌倉霊園で眠っているようです。 
その後、1972年に川端康成は逗子のマンションで自殺をしてその後、鎌倉霊園に埋葬されたようです・・
同じ場所で眠る・・多分偶然と思いますが、 
 
私は天城隧道を歩くのは今回で4度目ですが、過去の3回とは異なる景色が見えました。 
それが何かを具体的に言えるほど思考が固まっていませんが、でも、また来たいと思いました。