澳門(マカオ)は1999年に中国本土に返還されるまで440年間ポルトガル領であった
今でも公用語にはポルトガル語と中国語(会話は広東語)が併用とのこと
今日はその澳門(マカオ)に来てみました。
今の私に取ってポルトガルに関する知識はとても少なくほとんど無いに等しいですが
それでもポルトガルと聞いて咄嗟に思い起こせるのは
“フランシスコザビエル”と“サッカーのキングカズ”
の二人ですね。
現在の日本サッカー人気を牽引した最大の功労者はキングカズこと三浦知良である
ことに異論をとなえる人はいないと思いますが、既に功を成した三浦知良が現在
なぜ無名のポルトガルのサッカークラブに在籍しているのか?
かなり不思議に思っていましたが今回マカオに来てから、その理由が分かりました。
彼は若い頃にブラジルにサッカー留学をしていたのは有名な話ですがブラジルの
母国語はポルトガル語ですね。
ブラジルを中心にメキシコやアルゼンチンなど中南米の国々は総てスペイン語かと
思っていましたが、なぜか2億の人口を超えるブラジルだけが公用語がポルトガル語
だとのこと・・不思議ですね(ネットで調べれば分かるとは思うが・・)
もう一人の“フランシスコザビエル”は中学、高校の歴史授業で頻繁に出てくる
名前だし、それだけではなくその独特の肖像画さえ思い浮かびます。
今回、私はマカオの旅で彼の名前が冠された
“聖フランシスコ・ザビエル教会”
を訪ねて見たいと思っていました。、
それは、この旅の前に“マカオの歴史”と云う本を読んだときに彼がポルトガルに
帰国することも無くこのマカオで生涯を閉じたと知ったからです。
一昨年、大学時代の友人が熊本(人吉)にいるので同級生数名と天草の崎津地域に
旅行したことがあります。
そこは一見すると日本のどこにでもある片田舎の少し寂びれた漁村ですが、唯一違う
のはどの家にも玄関扉の上に“小さな十字架”が掲げてありました。
それを見たときに、私の脳裏に何故がポルトガルの寂びれた漁村のようなイメージが
浮かんでいました。
私はポルトガルは行ったこなど無いので、どうしてこのように思ったのかは今でも
不思議な感覚です。
中国の深圳に顧客が有り、何度か訪問していますが終えたら上海に戻るか香港経由で
帰国をしていましたが、今回1日休暇を取りマカオ経由で帰国することにしました。
まあサボりですね?(まあ1日ぐらい良いか?)
澳門(マカオ)と云えば誰でも思い越すのはカジノ(ギャンブル)だと思います。
学生時代に読んだ沢木耕太郎(深夜特急)には安宿の一角で繰り広げる“大小”と云う
サイコロ賭博にハマる話が紹介されていたことを思い出しました。
でも本来のマカオは貿易やキリスト教布教の拠点だったと思うのが自然だと思います。
フランシスコ・ザビエルは信長秀吉時代に日本に来ていますね。
鉄砲などをネタに布教活動をしたような気がします。
浅井三姉妹のお初(ねね)や明智光秀の三女細川ガラシャなどが信者になっています。
でも二人とも偶然三女だね。(関係ないか?)
布教とは何だろうか・?(私は無宗教)
この教会を訪ねるとそのヒントが見えるような気がしていました。
でもそこはクリーム色と白のかなり洒落た小さな教会でした。 熊本の崎津で見た
教会とはかなり異なりカラフルで映画で見るような南ヨーロッパの雰囲気でした。
特に中国では私の知る限りでは上海、大連、などで外国の租界ををそのまま残して
いるので街並みに歴史を感じますが澳門に来てみると
ポルトガルの匂い?
さえも感じます。マカオはポルトガルのイメージが観光資源にもなってるとはは
思うが中国の外国を排除しない度量の広さ?を感じますね。
この教会には天正遣欧少年使節の一人語学の天才“原マルティノ”が祀られていました。
彼たちは8年を掛けてその役目を果たすが戻った頃はキリスト弾圧モードで居場所が
なくなり“原マルティノ”はこの澳門で晩年を過ごしたようです。
彼は信者とは思うのでザビエルと一緒・・ならもしかしたら良かったのかも?
この教会の目の前には海が見えます。そこから南シナ海に繋がっていると思います・・
土の下から二人で苦難と共に往復した南シナ海をポルトガル語で楽しく談笑しながら
眺めているような気がしました。
ザビエル教会のそばにタルト発祥の店との事でそこで昼食にサンドイッチとタルトを
食べました。とても美味しいです。
澳門(マカオ)・・また来てみたいと思いました。
私に取ってとても良い1日となりました。